今までの来日経験について教えてください。
初めていらしたのはいつでしたか?日本には、3回行きました。最初が1990年、パコ・デ・ルシア独奏の「アランフェス協奏曲」を指揮したときです。次が2001年で、同じく「アランフェス」だったのですが、そのときは私自身がセビージャ王立交響楽団と一緒に演奏しました。そして、昨年は、私の生徒である村治香織さんと日本全国ツアーをしました。
初めていらした頃の日本のファンの印象と、10年以上経った今とでは、何か変化を感じますか? 最近はフラメンコ・ギターだけではなく、クラシック・ギターに対する興味もかなり出てきていると思います。いずれにしても、日本のファンは素晴らしい。スパニッシュ・ギターにとっては、非常に重要な国の一つだと思っています。
日本の中で好きな場所や、食べ物、興味のある習慣などありますか?個人的には、京都。本当に素晴らしい場所ですね。
もちろん東京の喧騒も好きです。
日本食は、世界中の食事の中でも、特に好きです。アジアの国には、仕事で来る機会が多いのですが、訪れる度に、それぞれの国の習慣、特に食事は好きになっていきます。
カニサーレス氏とは、どのようにして知り合ったのですか? パコ・デ・ルシアを通じてと伺っていますが。そう、その通りです。1990年のパコとツアー中に日本で出会いました。
カニサーレス氏について。 彼と一緒に仕事をしようと思ったきっかけは?彼はギタリストとして非常に完成度が高く、なんと言っても巧い。それにもちろん、音楽家、アーティストとしても素晴らしい。一緒にやろうというのは、ミゲル・マリン(フラメンコ・フェスティバルのプロモーター)のアイディアでした。
カニサーレス氏の演奏を表現するとしたら? また、ご自分との共通点、相違点とは? カニサーレスのギターは表現力豊かで、信じられないような音の移行をする。その技術は、本当に尊敬に値します。それに、どっぷりとフラメンコの世界にいながら、彼の作り出す音はとても現代的で個性的です。共通点は、二人とも相手のすることに対して尊敬の気持ちと愛着を持っている点だと思います。違いは、二人とも全く違う流派から出てきたことかな?でも、そのことがかえってお互いの興味をそそるんでしょうね。
今回の作品のタイトルの中の「MANO A MANO」は、誰がつけたのですか?ミゲル・マリン(前出)です。彼が提案してきたのを見て、二人とも気に入ったので。
注)「MANO A MANO」は「手に手を取って」程の意味ですが、現在来日中のプロデューサー、ミゲル・マリンによると「フラメンコとクラシックの出会い」「二つの個性の出会い」という感じでつけたタイトルらしいです。
このコンサートで弾く曲は、どのように選んだのですか?二人が共通の視点から演奏でき、なおかつ、それぞれが自分自身のスタイルを失わないように、スペインのクラシック音楽の中から、二人の芸術性の一致するポイントを探りながら選んでいきました。
貴方はセビージャ出身で、フラメンコを弾いても素晴らしいのですが、どうしてクラシックギターの道を選ばれたのですか? フラメンコのギタリストになろうと思ったことはありますか?何よりもまず、自分は“音楽家”であって、だんだん典型的な“クラシック・ギタリスト”と呼ばれることは少なくなってきているように思います。ギターの演奏には、いろいろなスタイルがありますが、スペイン音楽をギターで表現するには、フラメンコ・ギターの技術を習得していることは必須です。私は、それを単に身につけているだけではなく、フラメンコ・ギターの素晴らしさを理解し、それにすっかり惚れ込んでいるんですよ。
現在、この作品以外にはどんな活動をなさっていますか?次のお仕事の予定は?実にいろんなレパートリーの曲を弾いています。オーケストラとの共演から、自分の作っているグループ“ラ・マエストランサ”としての活動。それから、作曲も続けています。次の訪日では、ユニバーサルから出した新しいCD「THE TREES SPEAK」のプロモーションも行う予定です。
最後に日本のファンに、メッセージをお願いします。これからもギターを愛し、楽しみ続けてください。日本を訪れるたびに、皆さんのギターに対する熱い気持ち、その情熱の強さにふれて感動しています。スペインから遠く離れた国で、スパニッシュ・ギターがこんなにも愛されていることに、喜びと感謝の気持ちで胸がいっぱいです。
インタビュー:Makiko Sakakura